[スタンス・ドット]Web 2.0懐疑

[スタンス・ドット]Web 2.0懐疑 - TODO

起点

  • 好むと好まざるとにかかわらず 「google=自民党」「はてな=小泉」「ブロガ=フリータ」*1
  • 日記■[日記]Web2.0のうさんくささ(自戒)*2
  • My Life Between Silicon Valley and Japan [英語で読むITトレンド] Web 2.0が嫌われる理由*3
  • 好むと好まざるとにかかわらず 何故Web 2.0を嫌うのか?*4

今までできなかったことができるようになって、みんなが便利になるのは分かるが、その実質的な果実を享受するのは結局一部の人でしょ、ということか。末端ユーザーの貢献に対する見返り・幸福は結局物質的なものには成り得ない(アフィリエイトとかは人を集められる一部だけ)という。ある意味では精神的見返りで大勢の人を釣って利益を出すという募金詐欺みたいなもの(はてなアイデアとか)だったりして。

じゃあ世界(というのは現実的じゃないから日本が、か)がそういう産業構造になったとき、物質的な見返りが得られない末端ユーザーは何をして糊口をしのぐのかと。

Webを使って、Webに使われないための私則もそういう搾取(とも指弾できないような搾取)にたいする気持ち悪さから逃れるための自戒だったような気もするけど、「何かしたい、何かできるはず(見返りはいらないから)」みたいな欲求のコントロールってつくづく難しい。

どこにいても何をしていても、低いコストで多様な知識を得られる社会は、格差の解消に向かうかというとそうじゃないんだろうなぁ。

結局、革新的だね、便利だね、でもその便利になったシステムのどこかで、私たちは糧を得ることができるのか?(ほとんどの人は無理)ってことなんだろう。

ここで疑問なのは、ユーザーによるフィードバックを武器とするシステムが、ユーザーがユーザーでいることを維持する事ができない場合、長続きしないのでは、ということ。

大怪獣ひとり勝ちになって、無駄とされる中間産業がばたばた倒れた場合、そこで糧を得ていた人=システムを使っていた人はシステムに参加できなくなるんじゃないんだろうか。

そういうことまで考えてる人はいるのか?

タグおこし

「R30::マーケティング社会時評: 書評「ウェブ進化論―本当の大変化はこれから始まる」・上 」をきっかけにタグ緑陰クリップ > Web2.0懐疑に起こした。遡及付与しながら早くもプライベートになって読めなくなってるエントリを発見…。[栞はあるのに本がない問題*5]



『ウェブ進化論』の悲観的な読書メモ

http://list.g.hatena.ne.jp/Hebi/20060213/p1

我ながら暇人だ。

essaさんがもっと上手に書いてくれた

私の立場は、「認識論」としてはこの「楽観論」に同意するが、「価値論」としては、疑問を持つものである。つまり、たくさんの人を巻きこむ「大変化」が起きていることは間違いないと考えるが、今の延長でそれが誰にとっても良いものになるとは思えないのである。

(中略)

私は、もっと根本的な疑問を持っている。このようなシステムには社会全体が依存しているのだから、それが一般的な私企業という形でガバナンスされること自体に疑問がある。そのシステム自体に社会の成員全体が合意するなんらかの新しい手続きが必要だと考えている。しかし、「価値論的楽観論」には一定の懸念を持つという意味では、著者に同意する。また、この論点がなかなか理解されないことに、非常に危機感を抱いている。

だから、「認識論的楽観論」の部分では著者に学びつつ、「価値論的楽観論」については、著者と対話しつつ自分で考えながら読むことを、この本の読者に望みたい。

http://d.hatena.ne.jp/essa/20060215/p1

いま頭の中で、「新しい手続き」なんて可能なのかよーという冷笑家と、いや、「あちら側」では物理的制限がないからきっといつかは可能だよ、という楽天家がせめぎ合っている。

そしていくら「あちら側」に制限がなくても、全世界の人がネットインフラを持つのはほとんど無理だという物理的制限が最終的にだめ出ししてくる。いや、別に全人類がパソコン持たなくても「新しい手続き」は可能なんだろうか…。市場経済だって別に全人類が合意して地球上を席巻しているわけじゃないしなぁ。

…だめだ高校生の妄想みたいになってきた。

一年半前のessaさんが「物理的な制限」の疑問に教えてくれた

そうかーとなると次の障害は言語で、それにはGoogleさまが挑戦中、と。

梅田さんはいま 2006-02-16 20:57:34

『ウェブ進化論』に関する「情報が淘汰を起こして」いるのを実地観察しているのだと思う。

http://d.hatena.ne.jp/umedamochio/20060215/p1

即時レスポンスはWebの強みだけど、だからこそあえて時間をおく意味がある。いちいち全部にレスする必要がない世界、それがWeb2.0。

現在の脳内地図[文脈の遡及と形成]

そういえば『ウェブ進化論』には参考文献リストがないなぁ。引用されるものも記事とか講演とかブログばかりだ。

  • 『第三の波』
    • →『知価革命』
      • →『ぼくたちの洗脳社会』*6
      • →『インターネット的』
      • →『ウェブ進化論』

の順番でどんどん先端の解像度が上がっている感じ。

2001年に読んで、ほとんどはじめて*7名のある人が、当時自分が感じていたネットの楽しさや可能性を実感を伴って書いてくれたと感じた『インターネット的』は、でも、どうしてそうなのかというロジックの裏打ちがなくて、それゆえにその先にある具体的なものも書けていなくて後半ごにょごにょって感じで食い足りなかったのが、やっと『ウェブ進化論』でくっきり描き出されたという。

ここ数年、この辺でもう少し影響力のあった資料がなんかないかと思って調べたけど、出て来たのは「インパクを笑え!/「インターネット的」じゃない!*8」だった。これも今読むと、ところによってまだらに見えて面白い。

結局飯が食えるところは閉鎖空間 2006-03-28 20:43:45

オープンオープンて言うけど結局、それはマッチングの機会を最大限にするためであって、肝心の部分は閉鎖空間でやるんでしょという。ただ単に梅田さんはあちら側に新エスタブリッシュメント層を形成したいだけなんだという気がしてきた。

サブカル的ネット文化圏はコンテンツ面しかわからないんだけれども、今のところ部分的な果実を既存の商業ルートで回収(ブログ本とか)するに留まっていて、それがもうちょっと薄く広くネットの上だけで回収できないかとは思うけど、うーん。そもそもネットの上に長時間滞在できる人の傾向が全人類に及ぶのかという意味ではなはだこころもとない。

未来がGoogleブルドーザーによってバラ色と暗黒のツートンカラーになるならネズミ色の日常をなるべく引き延ばして、その中で愉快な多重生活を送ろうじゃないか。 2006-03-31 21:52:28

技術革新がどうやら格差の拡大にしか結びつかないこと、フラット化もオープンマインドも所詮は需要と供給のマッチングの手段であって、あちら側の特権階級に食い込めるかどうかの絶え間ない生き残りゲームでしかないのでは、とずっと疑ってきたのがどうやら現実問題として公言されつつあるので、凡人としての戦略をここらで成文化したい。

あちら側のバラ色の世界にはとても食い込めそうにないし、食い込むためのはてしないレースに人生を費やす気は毛頭ないので、日々を退屈かつ安寧に過ごしつつ、ネット上ではWeb2.0の奴隷となって働きつつ、その果実は享受するという、物理的にはローリスクで、精神的にハイリターンな生活が理想。ローコスト・ローリスクな刺激で幸せになれる受容体を増やすのが手っ取り早そう。

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